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長福寺 (名古屋市緑区) : ミニ英和和英辞書
長福寺 (名古屋市緑区)[ちょうふくじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
: [し]
  1. (n-suf) city 
: [みどり]
 【名詞】 1. greenery 
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 

長福寺 (名古屋市緑区) : ウィキペディア日本語版
長福寺 (名古屋市緑区)[ちょうふくじ]

長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市緑区にある西山浄土宗浄土宗西山派の一派)の寺院である。山号和光山(わこうざん)、院号天沢院(てんたくいん)と称する。本尊は阿弥陀如来である。1560年6月12日永禄3年5月19日)の桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られている。
== 沿革 ==
『張州雑志』には美濃国山県郡溝口村にある慈恩寺の末寺とある〔『張州雑志 第二巻』:847-848ページ〕。開山室町時代後期(戦国時代)の1538年天文7年)、善空南立(ぜんくうなんりゅう)上人によるといい、桶狭間の戦いの折りには当地に到着した今川勢を饗応し、労をねぎらったという逸話を持つ〔現地案内板より。〕。
ただし、『張州雑志』によるところの善空南立の没年は1701年元禄14年)とあり〔、室町時代後期の開山からその死までの期間が少なくとも160年以上を数えるというのは不合理であるため、彼は江戸時代初期の僧侶であり、当時衰退していた長福寺を立て直した中興の開山としてその名を残しているとする見方もある〔『有松町史』:16ページ〕。『尾張徇行記』においても、長福寺草創の由来は知れず、中興開山が善空南立であるとしている〔『名古屋区史シリーズ⑥ 緑区の歴史』:259-260ページ〕。
また、長福寺の創建は天文期ではなく桶狭間の戦いの後の1569年(永禄12年)だとする説もあるが〔、室町時代後期という時期は共通している。なお、桶狭間の地には古く、日観上人という日蓮宗大本山法華経寺の僧侶が道場を開いて教化にあたっていたという伝承があり〔『知多郡史 下巻』:4ページ〕、法華寺(ほけでら)と呼ばれたその道場がいつしか追分に移転し、廃寺になっていたところに再興されたのが長福寺だとする見解を、『有松町史』は示している〔。いずれにせよ桶狭間の戦いの時点で、法華寺であれ長福寺であれ当地に寺が存在していた可能性はある〔『名古屋区史シリーズ⑥ 緑区の歴史』:264ページ〕。
18世紀初頭には荒廃が進んでいたとされるが、1740年元文5年)に住職となった観岳上人が堂宇をすべて再築したという〔。天明年間(1781年-1788年)には火災が起き、寺宝焼失の憂き目に遭っている〔『有松町史』:116ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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